創造科学のパラダイム
ここで新しく来られた人々の為に、創造科学のパラダイムはその他の非創造科学のパラダイムとはどう違うのかを説明しましょう。まず、当然の事ながら、創造科学は神がこの世界を創られた事を前提としています。その場合、なぜ神が創られたのかとか、どうして神はこういう風に創られたのかとかいう疑問は問題とはなりません。神の存在と創造を前提としていても、そういう精神的、神学的主張が物質的な論理の発展の土台となるわけではなく、あくまでも手近に得られる事象や現象の観察から始まって順序よく神が創られたのである事を確認して行くのがその手順です。また単に神が創られたという事を確認するというのがこの創造科学の考察のゴールではなく、神がどのようにして創られたのかを学ぶのが次のプロセスです。ある人は、創造科学は神が創ったという結論に合わせるために勝手に構築した疑似科学ではないかと批判していますが、それはポイントを得た批判では全くありません。なぜなら神が創ったというのは結論以前の前提であり、それに対して神の存在を否定すること自体が人為的だからです。もちろん、神の存在を論じることは創造科学の趣旨ではありません。
現代科学では、一般に現象を最も合理的に説明すると見られる仮説を「科学的説明」として受け入れます。しかし、その説明も後でもっと事実を包括的に説明すると見られる新しい説が出されたならば、棄却されて新しい説に取って変わられるのが通例です。創造科学に於いても原則として同じ方針を取りますが、説が旧約聖書(トーラー)の神の創造の記述に一致しない場合は、他の無神論的な科学解釈がよく説明しているように見えても、それを受け入れて満足するようなことはせず、もっと別なよりよい説明が他にある事を求めて研究を続けるという姿勢を取ります。従って、どんなに説明上不利であるように見えても、創世記の記述に一致した説明をあくまで求め、必ず解答があると信じて研究を続けるのが創造科学の趣旨です。科学のテーマの探求に宗教の動機が入る事自体は、科学の精神の違反ではなく、科学性の自己否定でもありません。宗教が共存することは創造論のパラダイムの基本において認められています。
創造科学はトーラーの創世記の神による世界創造の字義通りの記述を世界観の根拠とします。従って本来は創造科学は特定のキリスト教宗派の神学釈義、聖書解釈の方法の違いによっては左右されない性質のものです。教派ごとの聖書解釈の違いが創造科学の内容に影響を与えるのは我々の望まざる所です。
創造科学は既に地層の形成、化石の形成、ノアの洪水の研究において多くの研究と業績を重ねて来ました。これらの研究について非創造論者はむやみに否定するのではなく、きちんと敬意を払わなければならなくなってきており、それは良い傾向であると思います。
キリスト教を信じるという人々の中にも残念ながら神の創造を字義通り信じない人もありますが、それはその人の責任と言うよりは教会の不信仰の故に、聖書の信仰が正しく伝えられていない所にあると考えられます。ですから、神を信じない人々から、創造論を字義通り信じないことを誉められても、不信仰を賞賛されているだけで、恥ずかしいことであると思って下さるようになれば幸いです。