Press Room

    ここでは新聞報道記事の紹介を行います



    牛なみ700キロの「巨大モルモット」 南米で化石発見

     南米・ベネズエラの約800万年前の地層から、牛ほどの大きさの“巨大モルモット”ともいえる絶滅種の化石が見つかった。推定体重は約700キロ。モルモットを含む現存の齧歯(げっし)類で最大のカピバラの10倍以上だ。ドイツやベネズエラなどの共同研究チームが19日発行の米科学誌サイエンスで発表した。  この化石はモルモットの仲間の「フォベロミス・パッテルソニ」。80年には歯などが見つかっている。今回は、首都カラカスの西約400キロの荒野で、ほぼ全身の骨格が見つかった。体長3メートル、体高1.3メートルで、長いしっぽでバランスを取り、後ろ脚で立つこともできたと推定される。  同じ地層から巨大なカメやワニなどの化石も発見された。この齧歯類は大きな川の河口付近で、水辺の草を食べていたとみられる。巨大化した理由は不明だが、硬い植物の消化には巨体の方が有利という説もある。(朝日新聞9月18日)

    【解説】この記事は上の「800万年前」の地層が4500年前のものに相当する「証拠」となります。


    日本アルプス、なぞの沈降 年間5ミリ、隆起の常識覆す

     国土地理院(茨城県つくば市)が、全国に配置している全地球測位システム(GPS)観測点の地殻変動のデータを分析したところ、中部地方にある日本アルプスが最大で年間5ミリ程度沈降していることがわかった。この地域は隆起しているとみていた地理学の常識を覆すものだ。地理院の村上亮(まこと)地理地殻活動総括研究官らのグループが、96年までに全国に配置された約600カ所のGPS観測点で、00年まで5年間のデータを分析、日本アルプスの沈降を突き止めた。日本列島は、地下のプレート(岩板)の動きなどから東西方向の圧縮力を受けており、日本アルプスは隆起すると考えられてきた。今回見つかった沈降は、従来の考え方では説明がつかない。 仮説として「長期的には隆起しているが、観測時期は短期的に沈降していた」「GPS観測点は山頂にはない。山頂は隆起し、山のふもとが沈んでいる」などが考えられる。村上さんは「不思議だ。さらにデータを集めていきたい」と話す。(朝日新聞2003年8月16日)

    【解説】地球が創造されたのはせいぜい6千年前、ノアの洪水の際にわずか40日間で大陸が移動し、世界各地に大山脈が急速に造成されたことを考えるなら、大勢として山がわずかに上がろうが下がろうが大きな問題ではありませんが、問題は、我々が得ている限られた知識の範囲で行う推論を過信することです。日本のマスコミはそもそも科学とは何かを謙遜に再考する必要があります。


    人類の発生は朝鮮から! 北朝鮮の爆笑進化説

     人類の発生発展 朝鮮の地に人が住み始めたのは人類文明の初期にあたりますが、それは朝鮮半島での生命の進化過程から確証が取れます。 新生代末期、人類期の始まる約300万〜400万年前に朝鮮半島の気候はたいへん温和でした。それは生物の繁殖に有利な条件となり、人類の発生発展に結びつく要因となりました。特に平壌を中心に人類発生発展の形跡がはっきりと残されています。 チュチェ55年(1966年)、平壌市祥原郡黒隅里で発見された約100万年前の遺跡には29種の獣類の化石と石器類が含まれてありましたが、それらは原人の残した遺跡と解明されています。また平壌市力浦区域からの故人の化石が発掘されており、続いて新人の化石、新石器、青銅器時代人類の化石も各地で数多く発掘されています。このような資料から朝鮮の地で人類発生発展の事実、民族の悠久性と単一性が立証されているのです。同時に原始時代から今日に至る歴史の全過程を体系的に歩みながら発展してきた事実も認められています。 出典: ガイドブック 朝鮮観光  国家観光総局 チュチェ86(1997)年 12ページ

    【解説】上は北朝鮮(北韓国)政府の発行した観光案内のパンフレットに堂々と書かれていたものです。 だいたい上のような化石発見と言っても、ろくな科学的検証も行われず北朝鮮政府のプロパガンダに利用されているのが実情です。その実態は政治の影響を受けた疑似科学と言って差し支えない幼稚な代物です。ですから北朝鮮がいくら上のような話を「科学的証拠だ」と持ち上げても誰も信じるものはありません。進化論を証明しようとしている疑似科学者の努力もこのような北朝鮮の観光パンフレットのようなものです。進化論がまだ正しいと思っている人達は、上のような馬鹿馬鹿しい主張を他山の石としなければならないと教えられる必要がありましょう。


    月着陸“疑惑”にNASA反論、ますます怪しまれる?

     【ワシントン5日=笹沢教一】アポロの月着陸はねつ造で、人類は月へは行っていなかった――とするテレビ番組が米国や日本で放映されるなど、若い世代を中心に広がっている“月着陸疑惑”に対し、米航空宇宙局(NASA)が反論本を準備していることが5日明らかになった。 米国では昨年製作された月着陸に疑問を投じるテレビ番組などの影響で、疑惑を巡る論争が過熱化。NASAには「大気がない月面で米国旗が揺れるのはおかしい」などとする意見が寄せられている。 反論本は、こうした疑問に逐一答える内容となる見通し。ロイター通信などによると、NASAは航空宇宙コンサルタントの作家に、情報収集費用として1万5000ドル(約180万円)の支出を認めた。 1969年7月に、アポロ11号のアームストロング船長が月に第一歩をしるした様子は、世界にテレビ中継され、月の石も持ち帰ったことから、アポロの月着陸は疑う余地のない事実とされてきた。しかし、当時を知らない世代が増え、インターネットなどによって様々なうわさ話が広まったことが論争を過熱させたとみられている。 NASAは「疑問についてはわかりやすく証明していく」としているが、関係者からは「本気で反論するとますます怪しまれる」との声も。 (読売新聞11/6/2002)

    【解説】月の着陸ですら、その当時を知らない世代に疑われたりウソだと決め付けられたりするのですから、まして神の6日間の創造があったという事など神を信じない人に疑われ否定されるわけです。事実を証するために残った人が努力しなければならないのは世の始まりから変わりません。


    「日本書紀」の皆既日食記述は正確 研究者ら新計算

     「日本書紀」にある日本最古の皆既日食や火星食の記録は、本当だった――天文計算の結果と合わず「不正確」とされていた記述に、国立天文台の研究者らが新計算でお墨付きを出した。権力者の都合による歴史の改変は少なくない書紀だが、これらの天文現象についてはぬれぎぬが晴れた。書紀に日食の記録は11回。このうち推古天皇36年3月(628年4月)は「日、蝕(は)え尽きたる」とされ、他は単に「日蝕えたり」などの表現なので、日本の記録上、最古の皆既日食。だが、従来の計算では92%しか欠けないとされていた。太陽や火星が月に隠される日食や火星食は、観察される地域や時間、食の程度が条件によって微妙に違う。国立天文台の谷川清隆・助教授(天体力学)、相馬充・助手(位置天文学)らは、地球の自転速度に注目した。自転は月の引力による海水の動きで6万年に約1秒ずつ遅くなる。だが谷川さんらは、気候変動で地球上の氷の量が異なることなどから、速度低下のペースは一定でなく、当時の自転速度は従来計算の前提より速かった、として再計算。その結果、都があった飛鳥(奈良県明日香村付近)では、628年の日食は皆既食に。従来は無いとされた681年11月の火星食も、起きたことがわかった。さらに、中国の「隋書」に記された616年5月の金環食(太陽の周辺だけが指輪のように残る)も、従来は部分食のはずとされたが、新計算では金環食と認められた。古記録の天文現象に詳しい長谷川一郎・大手前大教授(天文学)は「書紀には観察された場所や時間が書かれていないので断定はできないが、政治的なことはともかく、これらの天文現象についての書紀の記述は事実に忠実とみていいのでは」と話している。 (05/31 15:08)

    【解説】上は朝日新聞の記事です。6万年に一秒の割合で減少すると見られていたペースは実は遅く、本当はそれよりももう少し早かったように書いていますが、どれくらい早いペースで速度が減少したのかという事は書かれていません。地球磁場の減少とは全く異なる問題ですが、あとで何かの役に立つかもしれないので、できれば一応データとして数字を拾っておきたい所で、それが書かれていなかったのが残念です


    170万年前の犬は4000年前の犬!

    東京都昭島市にある約170万年前の地層から昨年9月に見つかった動物の化石が、日本最古のイヌ属のものである可能性が大きいことが15日わかった。国内で見つかったイヌ属の化石は、2万―35万年前のものが最古とされていた。せきつい動物の化石に詳しい長谷川善和・横浜国立大学名誉教授(古生物学)は「オオカミの先祖とみられるイヌ属の化石が100万年もさかのぼって見つかり、驚いている」と話している。発見したのは長野県飯田市美術博物館の小泉明裕学芸員(38)。昨年9月、昭島市を流れる多摩川の拝島橋上流約500メートルの河床で、下あごと歯が一緒になった化石を見つけ、周囲から上腕骨、肩甲骨34点の前半身を発掘した。

    今回の化石は下あごの長さが約16センチあり、現存するオオカミの下あごや歯などとほぼ同じなのが特徴。実物を見た長谷川名誉教授は「100万年を隔ててどうして骨格が同じなのか、興味深い」と話し、今後の詳しい調査に期待している。(朝日新聞2000年一月17日)

    【解説】英米の百科事典であるエンサイクロペデイアブリタニカでは、これまでで見つかった最古のイヌの化石はせいぜい九千年前のアイダホ州のものであり、人類の移動の仮説からこれがオオカミから家畜化したのは12000年程前としています。今回の発見はそれよりも遥かに昔と言われる地層から犬が発見されたので話題になっている訳です。我々は世界が出来たのは6千年前、地層が一度にできたと考えられるノアの洪水が4千年前であるという見解に立っていますから、この出来事は単に地層の年齢決定の不正確性を反映したものに過ぎないと単純に考えるでしょう。


    死滅したネアンデルタール人、現生人類と混血の可能性

     3万4000年前に死滅したといわれたネアンデルタール人が、その後も欧州で生存し、現生人類と混血した可能性があることを、米国のフレッド・スミス北イリノイ大学教授ら人類学者チームが発見し、25日発行の全米科学アカデミー紀要に発表した。

     同チームがクロアチアの洞穴で発見されたネアンデルタール人の骨を最新の放射性同位元素による年代測定で調べた結果、2万8000年前の骨であることが判明した。同教授は「この事実は現生人類とネアンデルタール人が数千年間、中部欧州で共存した可能性を示している」と指摘した。これまで、原始的なネアンデルタール人はアフリカから到来したより優秀な現生人類によって駆逐されたといわれてきた。

     同チームの一員である米ワシントン大学のエリック・トリンカウス教授はこの説について、「現生人類は欧州でネアンデルタール人を駆逐する一方、混血もしたのではないか」と推測した。同教授によると、今春ポルトガルで発見された2万4500年前の人骨は現生人類とネアンデルタール人の両方の特徴を備えており両者の混血をうかがわせる。(1999/10/25,時事)

    【解説】「ネアンデルタール人」というのは骨の破片から構築された観念的存在に過ぎないという立場からは、「ネアンデルタール人」が現生人類と同時代に生存してたという証拠が次々と現れるのは時間の問題です。タンガニーカでは1932年にアウストラロピテクスという「類人猿」の化石が発見されたと非創造論者は主張していますが、実はこの「発見」の際、同じ地層から現代人と全く同じ完全骨格の白骨死体が出土していたことは口封じされていたのです。


    サハラ砂漠が砂漠になったのは4千年前

    【ワシントン7日共同】アフリカ・サハラ砂漠ができたのは、地球軌道の微妙な変化に伴う地域気象の激変が原因、との説をドイツ・ポツダム気候影響研究所のチームがまとめ七日、米専門誌地球物理研究レターズに発表した。サハラの砂漠化は古代の農耕が原因との説もあるが、同チームは自然の現象だけで説明可能だと指摘している。チームによると、花粉化石などの研究からサハラ砂漠は、かつては草や低い木で覆われており、約四千年前ごろまでに急速に砂漠化したことが分かっている。 

    【解説】NHKの「大地球紀行」でも、サハラ砂漠の厚く積もった砂の下に大量の水が流れた峡谷の跡が衛星からのレーダー波反射解析で発見されたと放映していました。サハラで過去にどのような事が起こったのかはよくまだ理解されていませんが、はっきりしているのはサハラが今のような砂漠になったのはほんの今から4千年前の事であったという事です。それは聖書の記述と全く矛盾していません。


    エベレストの上に巨大な地層あった、調査隊が断層発見

     世界最高峰のエベレスト(中国名チョモランマ、8、848メートル)の上には約2000万年前まで、巨大な地層があった――。昨年登頂に成功した「チョモランマ総合学術調査隊」が、その証拠となる断層を発見していたことが明らかになった。調査隊に参加した九州大学の酒井治孝教授(地質学)の分析でわかったもので、山体は「二層構造」だったが、上の地層が約300万年かけてずり落ち、さらに風雪や氷河による浸食で、現在の形になったという。酒井教授は「エベレストはかつて15、000メートル以上あった」としている。

     調査隊は日本、中国などの31人からなり、エベレストの地質などを調べる目的で結成され、昨年5月、登頂した。頂上直下の標高約8、500メートルの北壁で長さ百数十メートルにわたって水平方向の断層を発見、映像や写真に記録し、岩石の一部を採取した。

     断層の上側は、小大陸だったインドとアジア大陸の間にあった「テチス海」の堆積(たいせき)物からできた堆積岩、下側は広域変成岩。帰国後、酒井教授が分析したところ、大きく水平にずれた断層面に沿って岩石がぼろぼろに壊れており、かつて強い力がかかったことがわかった。

     ヒマラヤ山脈がどのようにしてできたかの研究は1980年代に入って大きく進んだ。現在の有力な学説では、約5000万年前にインドがアジア大陸にぶつかり地続きとなった結果、地中深くで高温高圧にさらされてできた広域変成岩が盛り上がって堆積岩の地層を押し上げ、二層構造の山脈になったとされる。

     また、現在の山脈の北側に波状に曲がった褶曲(しゅうきょく)地層があることなどから、2000万年前ごろ堆積岩の地層が自重に耐えきれず、北側へずり落ち始め、水平方向の断層をつくりながら約300万年間ゆっくりと落ち続けたと考えられてきた。しかし、決め手となる断層は見つかっていなかった。

     酒井教授によると、発見された断層は、岩石の壊れ方やずれた方向が有力な学説と一致するという。堆積岩の厚さは約1万メートルあったといわれ、酒井教授は「現在の山頂付近にある断層の上に載っていたのだから、2000万年の間に山脈全体が下から盛り上がったことなど様々な要因を差し引いても、エベレストは15、000メートルはあった」と説明している。発見された断層から上の地層は、残った堆積岩といえる。(03:18)

    (朝日新聞1999年7月4日)

    【解説】エベレストのあった場所が下から押し上げられて山になったが、そこには既に更に一万メートルの厚さの堆積岩地層が広がっていたというのであるが、現在の地球上において、河川や湖沼のある所は勿論のこと、太平洋の底ですら堆積岩がそんなに厚くなっている所はない。仮に古いテチス海がたとえ一万メートルの深さだったとしても、それが広々と広がっていたのがだんだん埋め立てられたとしてもそんな厚さの堆積岩は創られないのである。一体そんな一万メートルの厚い堆積岩層がそもそもどうして出来たのか、それはエベレストの生成前に大量の土砂を排出する途方もなく巨大な山塊が存在した事を当然のように仮定しなければならない。そんな超巨大な山が自重で潰れる前に一万メートルの厚さの堆積岩の整然とした地層を造るというイメージは物理的にどだい無理というものである。この矛盾を説明する唯一の方法は、ノアの洪水のカタストロフィの中で短時間の内に膨大な土砂が押し流されて次々と圧縮されている最中に、高速で移動を開始したインド亜大陸のクラストが衝突して押し上げたとするものである。つまり、一万メートルの堆積岩層がつくられたのも、エベレストが下から押し上げられたのも、ノアの洪水の40日の間に起こった同時の出来事であると考えるのである。膨大な一万メートルの厚さの堆積の土砂も信じ難いほどの水と共に、洪水が引くに伴ってインド洋に流し去られて跡形もなくなったのではないかと考える。


    太陽の磁場が過去100年間で2倍以上に 英の研究所

     太陽の磁場は、過去100年間に2倍以上強くなった、という分析を、英国のラザフォード・アップルトン研究所のグループが1999年6月3日発行の英科学雑誌ネイチャーに発表した。太陽の磁場の長期的な変化が分かったのは初めて。太陽磁場は地球の気候にも関係するとされる。過去100年間で0.5度気温が上昇した温暖化との関係も議論を呼びそうだ。

     人工衛星のデータのない1964年以前までさかのぼって推定したところ、太陽の磁場はほぼ11年周期で強弱を繰り返しながら次第に強くなっており、現在は1901年の約2.3倍であることが分かった。

     太陽の磁場は黒点数や活動の強さと関係し、地球の気候にも何らかの影響を与えると考えられる。そのメカニズムは不明だが、太陽活動が静かで黒点がほとんどなかった17世紀末の「マウンダー極小期」と呼ばれる時代には、地球は寒冷化したとされる。(03:19)

    【解説】地球の磁場が850年から1400年ほどの半減期で減少しているのに対し、太陽はわずか百年で磁場の力を倍にすることが出来る。この事実からも明らかなように、地球の地史が過去何百何千万年もの間安定した状況が続いて来たという仮定はもはや決して正しくはない。太陽のパラメーターですらもこのようにすぐ変わる。こういう不安定な太陽を抱えていて世界が何万年も同じ様に続いたと考えるのは反省が必要であろう。世界は悠久だとして創造論を非科学的として退けてきたニフテイのクリスチャンフォーラムも恐らく今頃意見を変えている筈だ。


    【朝日新聞インターネット版1999年1月25日】

    島根県三瓶山山麓で縄文時代のスギの埋没林出土

     島根県大田市の三瓶山山ろくの水田から、縄文時代後期(4000年から3000年前)とみられるスギの巨木が立ったままの姿で次々と出土している。縄文時代のスギの埋没林が立ったまま見つかったのは珍しく、発掘にあたった島根県は縄文時代の植生や気候などの自然環境を知る上で貴重な資料としている。

     同県の発掘調査で、スギ7本、トチノキ1本が出土した。谷沿いの約3キロに渡り20本から30本が点在する「埋没林」と見られる。出土した直径1.3メートルのスギは、ボーリング調査で根元まで約10メートルあることがわかった。樹齢600年から500年で埋没したと見られ、巨木が林立していた当時の姿をしのばせる。

     同県景観自然課は、4000年ほど前に活発に火山活動をしていた三瓶山で発生した火砕流が谷の下流部分をせき止め、スギの天然林が水没、その後砂や泥などの堆積物で埋没したとみている。同県はさらに調査を進めるとともに、出土したスギを伐採し展示する事等を検討している。

     1983年に現場付近でほ場整備の工事中、埋まっていたスギの幹が出土。県が昨年10月から本格的な発掘調査を続けていた。

    【解説】この説明が不自然なのは、杉の天然林が水没したあとに土砂が堆積するならば杉の木が腐食傾倒するために時間的に十分な余裕を与える事です。これでは複数の杉が直立したまま残った事を説明できません。最も可能な説明は十分な水量のあるカタストロフィックな大洪水が起こり水面下で局在的に土砂が急速度で沈殿したとするものです。それは「ノアの洪水」とよばれる全世界的な洪水を伴った異変があってこそむしろ可能だったのです。