太陽のような笑顔

 私は太陽のような笑顔を持っている人がこの世で1番の成功者なのではないだろうかと最近思うようになった。私はこれまで何人かの太陽のような笑顔の持ち主に出会った事がある。残念ながら彼等は日本人ではない。テンション民族といわれる日本人が太陽のような笑顔を持つことは難しいのかも知れない。世の中にはその人の顔を見ているとこちらまで何となく嬉しくなってしまう、というような顔をした人がいるものだ。別に金持ちというわけでもないのに、全身で明るさを表現していて、その人の顔を見ているだけでこちらの気持ちがパッと明るくなってしまう。その内の1人とたまたま通りで出会ったりすると、その人は私の顔を見て「KEEP SMILING, THEN THE WORD WILL SMILE AT YOU!(いつも微笑んでいれば、世の中も微笑んでくれるさ。)」などと歌ってくれる。私は時々悲しい顔をして歩いていることがあるから私を励ましてくれているのだろう。太陽のような笑顔の持ち主は芸能界などでも成功することができるのかも知れない。私も今日から鏡を見るたびに微笑む練習でもしてみようかな。悲しくてもニコニコ、心で泣いてもニコニコ。そんなことできるかしら?不自然な感じのするニコニコ顔ではなく、心の中から沸き上がるようなニコニコ顔が欲しいものだ。

 私は、最近、弁護士のプリカリ君と仕事をする機会があった。プリカリ君というのは私が勝手に彼に付けたあだ名だ。彼がいつもプリプリと怒っていて、カリカリしているのでついつい付けてしまった。彼は1人で事務所を構えていた。何でも自分でやらなければならないのでとても大変だということは私にもよくわかっていた。だから、彼がプリプリ、カリカリするのもある程度無理はないと同情していたのだが、テンション・レベルが高まってくると本や書籍を床に投げつけるような性質を持った人と一緒に仕事をするのは初めてだった。最初はびっくりしてまるで子供のような人だと思って笑っていたのだが、こちらの体調が悪かったりすると、彼のこのユニークな性質が私に対して向けられているように感じてしまう時があった。まったく世の中にはいろいろな人がいるものだ。彼はいつもプリプリ、カリカリしていていつも周囲の人に当り散らしていた。彼の顔には残念ながら太陽の光は感じられなかった。収入だけから言えばプリカリ君は人生の勝者・成功者になるのだろうが、私はもはやこういう人を成功者とは呼びたくない。プリプリ、カリカリして毎日を送るには人生は余りにも短い。でも世の中にはこういう人が結構いるのかも知れない。こういう人にも必ず良い所があるはずで、そこに焦点を当ててやってその人を暖かく見守るだけの包容力が求められるわけだけれども、それは私のような凡人にはちょっと荷が重すぎた。

 というわけで、今回は人の顔に書かれた幸福度について書いてみた。作家の森鴎外は、人間30を過ぎたら自分の顔に責任を持て、と何かに書いていたように記憶しているが、自分が年齢を重ねるうちに本当にその通りだと思うようになった。私は人間がこの世に生まれてきたのは何か前世からの宿題を解決するためではないだろうかと考えている。誰でも性格のどこかにちょっと足りない所があって、それを乗り越えるために生きているような気がしている。ほんのわずかながらほぼ完璧に近い人も存在していて、出来の良くない人間を助けてくれているのかも知れない。自分のこの世での役割を果たすことと太陽のような笑顔を持つことを今後の私の人生の目標にしようかしら。太陽のような笑顔の持ち主になるための同好会でも作ってお互いの顔の幸福度をチェックし合うのもいいかも知れない。自分が出来るだけ明るい笑顔の持ち主にならないことには周りの人もなかなか近寄って来てはくれないものですね。


注:1997年8月23日の日米時事新聞に掲載された。

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