自然礼讃ー夏編

 コロラドスプリングズの夏は十二分に暑い。コロラドスプリングズよりもさらに高度の高いハーツェルでは気温が華氏で10度位低くなる。赤、青、ピンク、白、紫、黄色の花が咲き乱れ見る者の心を楽しませてくれる。それぞれの花の命は短くて、1週間から1ヶ月ほど我が世の春を謳歌するように咲いていたかと思うと、いつの間にやら別の花に取って変わられている。そそくさと咲いてそそくさと実をつけ、その根や種は来年まで眠る。まったくあっけないぼどの潔さがむしろ小気味良い。

 春に見つけた美しい花を咲かせていたサボテンがいつの間にやらアリの犠牲になってアリ塚に変わっていたのがショックだった。地面に直に巣を作ったマキバドリの卵3個は結局カラスのえさにでもなったようだ。
 
 ハーツェルの朝は気持ちが良い。遠くにロッキー山脈を眺めながら大草原の真只中にたたずみ、双眼鏡でバッファローの動きなどを追っていると、世の中にこれ以上の幸福は無いのではないだろうか、などと思えてくる。自然の中に身を置くと都会生活で頭だけが肥大化している自分が自然のほんの一部になってきて、本来の自分の姿に戻る。「自分は本当に小さな存在、それで何が悪い。」と居直っている自分を発見する。

 夕方になると蚊が活動を始める。洋服の上から遠慮会釈なく食らい付いてくる。ポンズクリームを塗っておくと蚊が寄り付かなくなるそうだがまだ試していない。釣り愛好家の間ではかなり愛用されているそうだ。吸血鬼は蚊だけではない。名も知らぬ虫や蝿の1種にもさされる可能性がある。あ〜、痒い、痒い。

 夜は雷と稲妻を伴った雨嵐になった。雨嵐は約2時間ほど続いて、雷と稲妻の間隔がだんだんと長くなってきた頃に雨が止んだ。コロラドはフロリダに続いて全米第2の雷と稲妻の多い所だそうだ。車に乗っていて弱目の雷に当たって電気ショックと同じものを感じても生き残った人の話によると、危ない時には一応ゴムタイヤの付いている車の中が一番安全だとか。昔の人は、地震、雷、火事、親父と言って恐ろしいものを数えたが、親父以外のものは今でもやっぱり恐ろしい。

   コロラドスプリングズのテレビ局では、人家の木の上で小熊が居眠りしていたとか、ガレージに置いてある生ゴミを熊があさりに来たとか、レストランに小熊がエサを求めて現れたとか、自然公園をハイキング中にアメリカライオンに襲われた10才の男の子がそのショックの余り自分の唾で窒息死したとか、トレーラーの中で熊と格闘して小銃で打ちまくったけれども、結局その熊に食われてしまったとかいうニュースを報道している。熊を倒すには、マグナム弾などを詰めたそれなりのライフルが無いとダメだと言う。そのような所で銃規制なんて言った所で通じないと思う。コロラドスプリングズの動物園で野生の狼に親しみを込めて手を振ったら恐ろしい野生の唸りと睨みが帰ってきてゾッとした事がある。コロラドはまだ自然と人間が同居している、あるいは縄張り争いをしている所なのだ。それだけ豊かな自然が残っているわけで、羨ましくもあり少々物騒でもある。でも私は、その中にしばらく浸っていると俄然生き返るのだ。私だけではあるまい。だから自然というのは、人間にとってとても大切なものなのだろう。

 雨が少ないために木があまり生えずに草花しか生えていない草原にもしかしたらと思って近くのポンデローサ松の森林から拾ってきた松ぼっくりをたくさんばらまいてきたけど、いつか芽を出してくれるのだろうか?宝くじを買うよりは確率は高いだろう。近年は雨が多いようなので、もしかしらという気持ちが働く。でも松ともなると1年で芽が出るなどという事も多分ないだろう。木の勉強をしてみないと何もわからないというのが実情だ。しかし松という木には強い生命力を感じる。いかにも岩を穿つという感じで生えている松を見ると感動してしまう。生えて来い来い松の木よ。


注:このエッセーは1997年の作品です。英語版のCampingコーナーの映像も合わせてお楽しみください。

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