自然礼讃ー春編







このハーツェルの草原に1台の小型トレーラーが設置してある。小型ながら3人分のベッドが収納されている。それらのベッドは日中は長椅子やテーブルに早変わりするように設計されている。トレーラーの外の後部にはプロパンガスのボンベが2つ並んで置いてある。電気が利用できるトレーラーパークなどでは、プロパンガスから電気に切り替えがきく。
 
 5月中旬にコロラドの春を満喫したいと思いこのトレーラーに3泊してきた。湿気が少ないコロラドでは、日本やオレゴンのような緑一杯の野原は期待出来ない。カリフォルニアの禿山のように草木も生えないわけではないが、やはり、そこはサボテンが美しい花を咲かせる土地柄だ。少ない緑の中で私は春を探し歩いた。そしたら出てくる事、出てくる事、そこにはたくさん春があった。

 まずマキバドリの卵が草原の上に作られた巣の中に3個かわいげにころがっている。親鳥が卵を温めていないところを見ると親鳥に見捨てられた可能性がある。あるいは私がその巣を発見してしまったために親鳥が巣に近付かなくなったのかもしれない。ウズラの卵よりもちょっと大きめで枯草色をしている。巣の底には綿毛のようなものが敷いてある。親の心づかいというものだろうか。

 その次ぎに見つけた春は、可愛い可愛い色とりどりの野草の花達。名前は知らないが、マメ科の植物のピンクの花。サボテンのピンクの花。5枚のハート型の花びらを持つ黄色い花。美しく咲くタンポポの黄色い花。「インデアンの絵筆」という英語名を持つ葉の先端と花が赤い花。白いひな菊。地面に這いつくばって咲くオレンジ色の菊のような花。菜の花を小型にしたような黄色い花。花達は太陽が当たっているいる時だけ開花して、気温が低くなるとすぐ閉じてしまう。我々が普段見なれている大型の花は豪華だが、野草の花には野草の花にしかない魅力があり、実に可憐で見事に咲き誇っている。また、野草の花のサイズに合わせて小さな点のような昆虫が飛んで来て蜜を吸うのを見て、自然はなんとうまく出来ていることかと感心する。

 目の前の牧場のバッファローの群れには赤ちゃんが数頭混じっている。この春生まれたのだろう。人間の子供と同じで、赤ちゃんバッファローの方が動きが激しい。そしてちょっと恐い目に合うとお母さんバッファローの方に逃げ帰る。バッファローはおとなしそうに見えて結構気性が激しいそうだ。隊列を組んで牧場の柵に沿って行進する様は壮観だ。いつかは肉として人間に食べられてしまうバッファロー達よ、今を十分に楽しんで生きてくれ、と思わずにはいられない。

 草原には、ノウサギ、プレーリードッグ、馬、牛、バッファロー達の糞がいろいろな形とサイズであちらこちらにころがっている。すっかり乾いてしまったものは薪と一緒に燃やして燃料にすることが出来る。その火で焼いたホットドッグは本当に美味しい。なんだか遊牧民にでもなったような気になってくる。

 春の夜空は冬の夜空に比べて空中の水分が多いだけ少しぼやけて見える。蠍座も地平線から顔を出しつつある。蠍座のアンタレスが赤い。流れ星が1つ、2つ夜空に消えて行く。人工衛星も飛んでいる。

 草原はじっと静かだ。聞こえてくるものは鳥とバッファローとコヨーテの泣き声だけ。空には鷹が1羽。時々ワタリガラスも飛んできて地面にばらまいた缶詰のトウモロコシの残り物を食べていく。マキバドリは地面すれすれの所を群れになって飛び、空中高く飛び回る事はあまり無い。鷹が恐いのではないかと思われる。ブルーバードも美しい羽を見せて地上近くを飛んでいる。草花の種をまいても鳥達がすっかり食べてしまうようだ。種をまいて水をやっても翌日はその近くに鳥の足跡だけが残り種は消えてしまっている。

 松の木を植林しても冬の間食べるものに困った動物達が木の幹の皮を食べてしまうため枯れる木もでる。でも松の木も負けてはおらじと松やにを出して身を守って頑張っている。まったく自然は過酷であると同時に優しい。自然に包まれて私の心にも強さとやさしさが蘇ってくる。

 コロラドの春をいっぱい見つけてまたサンフランシスコに舞い戻って来た。農家に生まれて百姓になることを嫌った私だったが、今では百姓もいいような気がする。大地に足を踏ん張って立つと足の裏にある湧泉(ゆうせん)というツボから体内の邪気がドッと出て行くのがわかる。コンクリートの上だとこういう感じは絶対に味わえない。


注:このエッセーは1997年の作品です。 英語版のCampingコーナーの映像も合わせてお楽しみください。

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