恐山

 私は1996年の7月21日に青森県にある恐山を訪れた。私が恐山に興味を持ったのは子供の時に雑誌に載っていたイタコの口寄せの記事を読んでからだった。修行を積んで死者の霊の言葉を伝える能力を身につけた女性達がいるという事実に、子供の私は気持ち悪さとともに大きな興味を持った。その後、私自身も些細なテレパシーとか予知能力などを経験するはめになり、恐山のイタコさん達の能力を是非1度試してみたい、という気持ちが強くなっていた。

 幸いにもこの度の帰国で夢が実現した。なんと、いよいよ今日恐山に立つと決めていた朝にテレビのニュースで恐山大祭典山主上山式の様子が放送された。JRで青森県の野辺地まで行き、そこからJR大湊線、下北交通大畑線、下北交通のバスを使って恐山まで行った。途中は海あり、山ありの風光明媚な所だった。海では帆立貝の養殖が行われているらしい。

 「日本3大霊場の1つになっている恐山菩提寺は延命地蔵菩薩を本尊とし、慈覚大師円仁が開基で、本坊は曹洞宗円通寺で、開山期間は毎年5月1日から10月31日、開山時間は午前6時から午後6時(大祭典と秋祭典の期間は別設)、大祭典は毎年7月20日から24日、秋祭典は毎年10月9日から11日に開かれる。」と恐山から貰ってきたパンフレットに書いてある。なにしろ今から1200年も前に慈覚大師が唐に留学していた時に夢に聖僧が現れて「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊1体を刻しその地に仏道を広めよ。」とのお告げを受けた後に、すぐに帰国してやっと探し当てたのが恐山なのだそうで、硫黄の匂いのする宇曾利湖やいかにも地獄然とした岩だらけの場所などが恐山という名前にふさわしい感じがした。

 まず蓮華庵というお食事処でラーメンなどを食べて腹ごしらえをしてから、入山受付所で切符を買った。門を通ってすぐの所にテントが10個位並んでいた。そこに人が集まっていたので、近付いてみるとやはりそこはイタコさん達のテントで、人々は各テントの前で列を作って自分の番を待っていた。良く見ると携帯用のカセットテープレコーダーを持参してきている人もいた。私の番が来てテントの中に入って行った。このイタコさんはかなり年配のおばあさんだった。
 「どこからござった?」
 「サンフランシスコからです。」
 「それは、まあ。言葉がわかりますかね?」
 「大丈夫です。」
という挨拶から始まって死者の命日と死者との続き柄を告げたら「何月何日の仏様をお願いします。」というお祈りの後にすぐに死者の言葉というのが出て来た。言っていることは、かなり抽象的なので、納得出来るような出来ないようなものであったが、兄弟仲良く暮らしなさい、とか守ってあげる、と言われたのが印象に残った。私に兄弟がいることは彼女に言っていなかった。かなり早口で話が進むので、カセットテープレコーダーは絶対持っていった方がいいようだ。話は残念ながら5分位で終わってしまった。3000円をお礼として払ってテントを出た。私は、どうも完全に納得出来ないまま延命地蔵尊、奥の院不動明王、五智如来、戦没者慰霊の碑などを回ってお祈りした。そして帰りにもう1度テントの並んでいる所を通ったら、人だかりも先刻より大分少なくなっていたので、今度は別のイタコさんを試してやれ、という気になって別のテントに入って行った。そして同じ死者の命日と死者との続き柄を告げると、この目の見えないイタコさんは、しばらく押し黙って何も言ってくれなかった。そして、
「もう、仏さんを降ろされましたね。」
「はい、実は、さっき。」
「お寺にお参りして帰りなさい。」
と言うので諦めて3000円を払って帰ろうとすると、
「お金はいりません。」
と言った。

 というわけで私はイタコさん達には何らかの能力が備わっているに違いない、と確信するに至った。帰りのバスを待っている間に土地の人と話をしていたら、イタコさんに会えるのは大祭典と秋祭典の時だけだそうで、恐山やその大祭典について何の予備知識も無くただフラリと出かけて来た私はまったく運が良いというのか、それとも亡き母親の霊が私を呼んだのか、不思議な気分に浸りながら恐山を後にした。恐山には是非もう1度出かけてみたい。



注:1997年1月1日の日米時事新聞に掲載された。ホームページ掲載にあたり加筆、訂正。

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