去年のテロ事件以来いろいろなことを考える。政治とはまったく縁がなく、外国で根無し草のような生活をしている私でも最近は国家や戦争、民族などについて考えさせられてしまう。第二次世界大戦終了から約半世紀も立つともう一度昔を振り返って考えてみたくなるのか、日本では「ホタル」そしてアメリカでは「パール・ハーバー」という映画が同時期に制作された。アメリカに住んでいるとはいえ、アメリカ人にはなり切れない私にとって「パール・ハーバー」という映画をわざわざ金を払ってまで見る気にはなれないが、「ホタル」の方は見た。公平であろうとすれば、そのうちに「パール・ハーバー」も見てみる必要があるだろう。「ホタル」では日韓問題も扱っている。日の丸の旗のもとに韓国人も戦わされたわけだ。このアメリカから見ていると、日韓問題など親戚同士のけんかのように見えるのだが....。
第二次世界大戦で思い出すのは、私の場合、横井庄一さんや小野田寛郎(おのだ ひろお)さんのことだ。横井庄一さんがグアム島で見つかったのは1972年。彼がジャングルで作った衣料品などをデパートの展示会で見てその器用さに感心したのを覚えている。小野田さんの方は1974年2月にフィリピンのルバング島で見つかった。挙手の礼をとって立つ彼の姿のりりしさに私はすっかり打ちのめされてしまって、今でもその写真のイメージが脳裏に焼き付いている。先日インターネットで小野田さんに関する情報を収集していたら、1974年の12月には台湾人の中村輝夫(本名:李光輝)さんという人も旧帝国軍人として戦っていたインドネシアのモロタイ島で見つかったということを探しあててびっくりした。中村さんに対する日本政府とメディアの態度は横井さんや小野田さんの場合と比較するとかなり不公平なものがあったらしい。
私は、1974年の3月か4月ごろ商用で訪日していたオーストラリア人女性の通訳として新幹線の名古屋駅のホームに立っていた。その時偶然にもルバング島から帰国したばかりの小野田さんがこだま号から出て来るのに出くわしてしまった。小野田さんは手に花束を持ち大勢の報道陣に囲まれていた。その時、私と一緒にいたオーストラリア人女性が、テレビ局の人に小野田さんに対する意見を求められ、私がその通訳をするはめになった。それで私と彼女も小野田さんと一緒にテレビのニュースに出たらしい。袖すり合うも他生の縁だとすれば、私と小野田さんの縁もまんざらではないのかも知れない。
その小野田さんは1984年以来、日本とブラジルを行ったり来たりしながら日本の福島県で子供のための「小野田自然塾」を主宰しておられるという。日本図書センターから出版された「小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争」という本を読んでみたが、これはなかなか良い本だ。本当は「わがブラジル人生」という本の方に興味があったのだが、絶版になってしまったのか未だに入手できないでいる。(どなたか譲ってもいいという方がいらっしゃったら当方まで御連絡下さい。)遠いブラジルから祖国を眺めていると日本がだんだん乱れていくようで、小野田さんも気が気じゃなかったんだろうと思われる。彼の立場を最大限に活用して子供の教育に力を注ぐというのはとても意義のあることであり尊敬に値する。将来彼の遺志をついで「小野田自然塾」を続けてゆく指導者の養成が切に求められる。小野田さんのようなスター的な存在なしには「小野田自然塾」の運営は困難を極めるのではないだろうか。
「小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争」という本を読んだ後、今度は発見者の鈴木紀夫さんのことが気になってしょうがなくなった。インターネットで検索すると彼もまた「大放浪 小野田少尉発見の旅」という本を朝日新聞社から出していることがわかった。これはサンフランシスコの紀伊国屋書店から取り寄せてもらって読んだ。こうして小野田寛郎さんと鈴木紀夫さんの両サイドから当時の状況をつかむことができた。鈴木紀夫さんは、1949年に生まれ1986年にヒマラヤで遭難死している。小野田さんは和歌山県出身で、その発見者が紀夫さんという名前であったというのは何か因縁めいていて興味深い。「大放浪 小野田少尉発見の旅」には、外国を経験した者でないとわからない微妙な感情が盛り込まれている。また、三島由紀夫の切腹事件から受けたショックなどについても記述している。鈴木紀夫さんはとても明るい性格の持ち主で誰からも好かれたらしい。ルバング島に小野田さんを探しに行き、事前に島の町長や村長などとも親しい交流関係を築きあげていなければ、あそこまでスムーズに事が運ばなかったのではないだろうか。親子ほどにも年齢の違う2人の間の会話も面白い。
押し寄せるグローバリゼーションのうねりの中で国家や民族などの概念も微妙に変化しつつあるなか、実際に外国に住んでいても簡単には変化しきれない自分自身に気が付くと(もっともサンフランシスコなど外国のうちに入らないが)、憧れてやまない宇宙人との遭遇や国際感覚ならぬ宇宙感覚の持ち主になることなどは遠い夢のように思えてくる。これはひとえに私自身の人格のレベルの問題でもあるのだろうが...。